箕田(みだ)古墳群は、大宮台地の北東端、通称箕田台地と呼ばれる台地の上にある。9基の古墳が確認されている。1号墳と3号墳は消滅している。
箕田2号墳。円墳。径23m、高さ2.7m。1984年の調査で周溝が確認され、築造時は径32mと推定される。6世紀後葉の築造。墳頂に氷川神社を祀る。「武蔵国郡村誌」(1953年)では三士塚とされる。「武蔵国郡村誌」では、武蔵守源仕(みなもとのつこう)と妻の墓とする古記述がある。源仕は平安中期の軍事貴族で嵯峨源氏・源融の孫。武蔵国の国司として、関東に下向し、仕、宛、綱三代にわたる箕田源氏の基礎を築いた。孫の綱は渡辺氏の祖となる渡辺源次綱。古墳が築造された時代とは異なる。
南西から。
北西から。
箕田古墳群は、その分布と築造年代から、宮前、富士山、龍泉寺、稲荷腰、追分支群の5支群に分かれる。北から、
追分支群 ... べったら塚古墳
龍泉寺支群 ... 2号墳、4号墳
富士山支群 ... 5〜8号墳
稲荷腰支群 ... 1号墳、他2基
宮前支群 ... 9号墳、他数基の円墳
文献
[1] 宮川進 1997「さいたま古墳めぐり」さきたま出版会
箕田古墳群。
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2021年5月8日
北鴻巣駅から歩いて古墳堪能😀
箕田2号墳。
氷川神社が祀られている。
円墳32m。
6世紀後半。
人物埴輪、須恵器、大甕が出土。
散らばる石材は石室の残骸かなぁ。
伝箕田館跡の一角にある。
この一帯は箕田源氏の伝承も多い。
歴史散策も楽しいコースです。 pic.twitter.com/s5vtSD4TH8
箕田源氏については