週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

箕田2号墳(三士塚) 鴻巣市箕田

箕田(みだ)古墳群は、大宮台地の北東端、通称箕田台地と呼ばれる台地の上にある。9基の古墳が確認されている。1号墳と3号墳は消滅している。

箕田2号墳。円墳。径23m、高さ2.7m。1984年の調査で周溝が確認され、築造時は径32mと推定される。6世紀後葉の築造。墳頂に氷川神社を祀る。「武蔵国郡村誌」(1953年)では三士塚とされる。「武蔵国郡村誌」では、武蔵守源仕(みなもとのつこう)と妻の墓とする古記述がある。源仕は平安中期の軍事貴族嵯峨源氏源融の孫。武蔵国国司として、関東に下向し、仕、宛、綱三代にわたる箕田源氏の基礎を築いた。孫の綱は渡辺氏の祖となる渡辺源次綱。古墳が築造された時代とは異なる。

南西から。
f:id:kofunmeguri:20180504174101j:image
f:id:kofunmeguri:20180504174152j:image
f:id:kofunmeguri:20180504174303j:image
f:id:kofunmeguri:20180504174323j:image

北西から。
f:id:kofunmeguri:20180504174351j:image
f:id:kofunmeguri:20180504174416j:image

箕田古墳群は、その分布と築造年代から、宮前、富士山、龍泉寺、稲荷腰、追分支群の5支群に分かれる。北から、
追分支群 ... べったら塚古墳
龍泉寺支群 ... 2号墳、4号墳
富士山支群 ... 5〜8号墳
稲荷腰支群 ... 1号墳、他2基
宮前支群 ... 9号墳、他数基の円墳

文献

[1] 宮川進 1997「さいたま古墳めぐり」さきたま出版会

箕田源氏については

にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村