南に都幾川を望む台地の縁辺に位置する野本古墳群の1号墳、別名、野本将軍塚古墳。前方後円墳。2017年春に実施された市教育委員会と早稲田大などの合同調査(地中レーダー探査やドローンを使った撮影データなどを駆使して古墳の形状や墳丘内の埋葬施設などを調べる3Dによる非破壊調査)で、古墳時代前期にあたる4世紀後半の築造であることが確実になった。後円部3段、前方部2段構造、埋葬施設は縦穴系で未盗掘の可能性が高いことがわかった。残存長は115m。埼玉県では3番目の大きさ。復元長は2番目の稲荷山古墳(120m)を超える可能性もある。
西から後円部。
西から前方部。
後方部の墳丘の上に建つ忠魂碑。西南戦争から満州事変において戦死された旧野本村域出身の兵士を慰霊する。
忠魂碑の手前には忠魂碑建立の際の寄付者一覧を記した石碑。
括れ部の墳丘の上から後円部。右手前の石碑には在郷軍人会野本分会が用地取得に際して利仁神社に金五百圓を奉納したことが刻まれている。
南から後円部。
後円部の階段の手前右手の稲荷社。
後円部の墳頂には藤原利仁(ふじわらのとしひと)を祀る利仁神社。この古墳が将軍塚と呼ばれたのは、藤原利仁が鎮守府将軍であったことによる。
後円部の墳頂から括れ部。
括れ部の西にある鳥居。
後円部の西側。
北側から後方部。
古墳北側にある野本館跡。
文化財講演会「3D技術でせまる将軍塚古墳の謎」講演資料/東松山市ホームページ
野本将軍塚古墳の調査開始! - 早稲田大学城倉ゼミブログ - Yahoo!ブログ
文献
[1] 埼玉県 1982「新編埼玉県史 資料編 2 原始・古代 弥生・古墳」
[2] 宮川進 1997「さいたま古墳めぐり」さきたま出版会
[3] 早稲田大学東アジア都城・シルクロード考古学研究所 2017 『デジタル技術を用いた古墳の非破壊調査研究』早稲田大学東アジア都城・シルクロード考古学研究所
[4] 早稲田大学東アジア都城・シルクロード考古学研究所 2018 『野本将軍塚古墳と東国の前期古墳』早稲田大学東アジア都城・シルクロード考古学研究所
【空中散歩⑦】
— 埼玉県立さきたま史跡の博物館 (@sakitama_museum) 2021年6月8日
空中散歩、最後の旅は東松山市です。あそこにも古墳が! あれは、おくま山古墳です。よく見ると、前方部の短い帆立貝形古墳という珍しい形をしています。もう一つ、野本将軍塚古墳も見えます。古墳時代前期の古墳としては圧倒的な規模を有します。(史)#おくま山古墳 #野本将軍塚古墳 pic.twitter.com/mXbdhe0kYq