梶が谷駅から南西に徒歩7分のJAセレサ川崎の敷地内に法界塚古墳の説明板と古墳らしき塚があるが、古墳はすでに破壊されているようだ。文献[2]によると「昭和40年代の初め頃にはまだ実存していたようで、その時の規模は径9m前後の円墳であったと思われます。」「内部主体は昭和5・6年に発掘調査され、長さ6m弱の横穴式石室で、そこからは人骨や金環(耳かざり)・刀の柄頭・鞘尻・小玉が出土したと報告されています。」とされ、法界塚古墳出土の金環の写真(持田春吉氏撮影)と横穴式石室の実測図が掲載されている。文献[1]には「ほうかい塚」として「かつてここから四体分の人骨と鍔が検出されたと伝えられている」「この方貝塚から北に40mの距離を置いて、更に二基の古墳が並んでいる。そのうち西側の(梶ヶ谷清水谷)古墳(第一号墳)は、高さ2.8m、墳径15.5mの円墳であるが、東西両裾を大きく削りとられて、今では楕円形に近い形状を呈している。墳頂部も若干削平された痕跡がある。東側の古墳(第二号墳)も今ではすっかり破壊されてしまい、築営当初の面影はない。現在の規模は、高さ2.1m、墳径7.5mあまりである。」とされる。清水谷古墳2基もすでにない。
文献
[1] 伊東秀吉 1967「川崎市の古墳(一)」『川崎市文化財調査集録』3 川崎市教育委員会
[2] 川崎市市民ミュージアム 1992「遺跡ガイドブック -かわさきの古墳めぐり-」川崎市市民ミュージアム