真福寺貝塚は縄文時代後期から晩期の集落跡で、貝塚と低湿地遺跡(泥炭層遺跡)からなる。
さいたま市真福寺貝塚。
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2020年7月9日
これから史跡整備が進められていくので楽しみ。
真福寺貝塚と言えば有名なミミズク土偶。
でも真福寺貝塚はもっと変わってものも出ている。
ペンギン形土製品や猿型土製品。
縄文世界広しといえどペンギン🐧は他にないだろうな!
縄文人が南極に行ったことがあるか謎です😉 pic.twitter.com/cOeOzEcDaW
真福寺貝塚の北東を斜めに一列の建物の列は何なんでしょう。 pic.twitter.com/dOI7EdXjQs
— ぶじん(挂甲の武人) (@kufunmeguri9) 2020年7月9日
誰かのツイートで見たような気がするな?
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2020年7月9日
武州鉄道跡でしたっけ。
調べて間違っていたら訂正します。
興味深かったので今昔マップを眺めたら、1960年代の地図では真福寺から南へ川口市大字石神あたりまでたどることができそうでした。 https://t.co/ac7pr7VtB0
— 産鉄族 (@santetsuzoku) 2020年7月9日
Wikipedia に「線路跡はさいたま市立岩槻中学校の敷地を通過している。」とあって、岩槻中学校まで列が続いているようなので可能性大ですね。昭和13年に廃線となった跡が残っているとすると驚きです。
— ぶじん(挂甲の武人) (@kufunmeguri9) 2020年7月9日
跡地の分譲で宅地ができたので保存されたようですね。
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2020年7月9日