高稲荷(こういなり)古墳は毛長川左岸の大宮台地南端にかつてあった前方後円墳。1960年、土取りのため湮滅。明治大学考古学研究室が測量と発掘調査を実施。全長75m、後円部径50m、後円部高さ9.5m、前方部幅27m、前方部高さ6.5m。後円部の墳頂中央部下1.5〜1.7mに長さ3.5mの粘土槨を検出。4世紀後半から5世紀前半の築造。北足立、北埼玉、南埼玉、北葛飾郡における最初の前方後円墳。前方部が未発達な形状。
もう一つ川口市内で現存しない古墳、「高稲荷古墳」。こちらのブログによると全長80mの前方後円墳だったとのこと。毛長川(かつての入間川・荒川?流路)流域に古墳は結構あったようで、現存していないのが惜しまれる。https://t.co/nhikSfKy85
— いこ~ (@e_ikuon) 2020年5月12日
浅間社の古墳(仙元祠古墳)、迅速測図の小山全体だったなら全長200m近い大型古墳になる!と思って調べたけどWeb上にはほとんど情報がない。以下のブログで引用されている絵図(出典不明)では2つの山頂があるように見える小山が描かれているのだが……https://t.co/XHxBFdahoS pic.twitter.com/s3RHqaJbxz
— いこ~ (@e_ikuon) 2020年5月12日
川口市 高稲荷古墳。
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2020年7月1日
消滅した前方後円墳。
75mの前期後半の古墳。
大宮台地の先端にありランドマークとして造営されたと思われる。
さいたま市塚本塚山古墳の次の南埼玉の広域首長墓であったと思う。
長柄桜山古墳群、芝丸山古墳と共に東京湾の海上ネットワークを掌握した。
その先には野本将軍塚古墳 pic.twitter.com/VxayHaQppd
があった。
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2020年7月1日
この古墳は若き日の大塚初重先生が消滅寸前に発掘を行っている。
ただ粘土槨らしいことはわかったが刀と鏃の破片しか残っていない盗掘にあっていたらしい。
発掘は1960年に行われている。
奇しくも川口市を舞台とした映画「キューポラのある街」は1962年に公開されている。
そんな混沌とし pic.twitter.com/uDht9Gc7w9
た時代背景があった。
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2020年7月1日
境内の古墳を売却し丘陵地ごと削平しなんの痕跡も残さず市街地になってしまった。
今残っていれば「高稲荷古墳とその時代」などとシンポジウムも開催され地域活性化にどれだけ貢献したことか。
川口市には今はひとつも古墳が残っていない😫
#埼玉県 #川口市
— HaniwaProject~ 古墳を科学したいHANIEL~ (@HaniwaProject) 2022年10月29日
高稲荷古墳跡地らしい敷地
鉄塔の足元に宮脇1号墳、2号墳があったようで、周辺は全棟寺裏遺跡と名称がついています。
全棟寺、徳川家康、秀忠、家光が遊猟時に立寄ったとの事。
家康が後の側室お京殿と出会った場所。 pic.twitter.com/qsvNiDwosf
川口市立文化財センター(本館)のパネル展示に「毛長川流域の古墳と遺跡」の分布図と高稲荷古墳の昭和35年頃の写真があった。分館の郷土資料館で特別展示された青木小学校6年生が模造紙にまとめた「古墳調べ」によると、高稲荷古墳のあった土地はもともと峯ヶ岡八幡が所有していたが、社殿の修繕費を工面するために土地を売却したとのこと。この話は文献[2]に記載されていた。
かつて、川口市の峯ヶ岡八幡神社の所有する土地に毛長川流域を代表する前方部後円墳の高稲荷古墳があった。建設費を工面するために神社が土地を売却。土取りで古墳が破壊中と知った若き日の大塚初重さんが1960年に発掘。古墳は湮滅。今でも健在であれば川口市を代表する史跡になったであろう。 https://t.co/H8jbLQbAwL
— ぶじん(挂甲の武人) (@kufunmeguri9) 2020年11月18日
文献
[1] 埼玉県 1982「新編埼玉県史 資料編 2 原始・古代 弥生・古墳」