国府台(こうのだい)遺跡第192地点の現地説明会に参加した。京成線国府台駅から北に徒歩10分。今回の発掘では、両側に側溝をもち、路面幅が9mほどの古代の道路跡が、南北長さ45mにわたって発見された。東の側溝は深さ0.7m、西の側溝は一番深いところで1.8mあり、溝内からは奈良時代から平安時代にかけての土器(土師器、須恵器)や瓦が出土した。今回の道路跡の約100m北の市営野球場付近にあったと推定される下総国の国府の国庁へのメインストリートと考えられる。1970年代の調査で、今回の道路跡から南側に約300メートルの場所に起点とみられる道路跡の一部が見つかっていた。
弥生時代の縦穴住居跡も見つかっている。
北側から見た発掘現場。
北側の西の側溝。
南側の西の側溝。
南側の東の側溝。
墨書土器。厨房の「厨」と葛飾郡の「葛」。
土師器。須恵器。
古代の道路跡は発掘現場の南の切通しにつながつている。
文献
[1] 千葉県教育委員会 2019 『千葉県教育委員会埋蔵文化財調査報告30:市川市国府台遺跡第192地点1』千葉県教育委員会
【遺跡 現地説明会情報😅】
— TORU Suzuki (@TORUSuzuki10) 2022年9月20日
千葉県市川市 国府台(こうのだい)遺跡
―下総国衙(こくが)の調査
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今回の現説は、県営住宅の建て替えに伴う発掘調査。千葉商科大学と弘法寺と間に位置する場所です。今回の主な発掘成果は、①商科大内でも確認されている続きの大溝と土橋。②土橋に隣接した掘立柱建物。③版築遺構。以上の3つとのこと。#国府台遺跡見学会#下総国衙跡 pic.twitter.com/GoWnLXf1y7
— chiba_kofun (@yukio_0525_) 2022年9月23日
①版築遺構
— chiba_kofun (@yukio_0525_) 2022年9月23日
元々、軍の施設があり、その後に県営住宅が建てられた経緯があり、上層の改変が大きく、何が立っていたかは分からないが、重たい建物があったことは間違えない。寺院建築か倉が推測される。官衙跡から、版築遺構が見つかるのは、稀ではあるが、国府台遺跡では、これが3件目。 pic.twitter.com/mhmva8cYE1
北区の豊島官衙跡などで、類例がある。ローム層の硬い層まで十分に掘り返して、さらに、建物の基礎のために版築をしている。土は、赤土の方が硬く締まるので、主に赤土のみで版築されるが、黒土が混ざっているので、層が積まれているのが分かる。浅い層は土が足りなかったのか、黒土も使ってある。 pic.twitter.com/HheP6glIsB
— chiba_kofun (@yukio_0525_) 2022年9月23日
②大溝と土橋
— chiba_kofun (@yukio_0525_) 2022年9月23日
隣接する商科大内でも確認されていた国衙の敷地の境とされる大溝。今回、その延長上で大溝の続きが見つかった。規模は幅3m、深さ2m以上。さらに、この遺構の通路としての土橋も見つかった。 pic.twitter.com/4KPstL2RbM
③掘立柱建物
— chiba_kofun (@yukio_0525_) 2022年9月23日
版築遺構より大きく、発掘調査の敷地を超えて続いている。なお、柱穴はφ1mほど。実際の柱はφ40cmほどと推測。大溝に隣接し、平行に建てられている。
とのこと。
このほか、国衙の作られる前の竪穴式住居跡も。
※①〜③の順番が変わってしまい、すいません。 pic.twitter.com/210uCO29yy
以前の隣接する遺跡での出土品の数々。なんと、埴輪片も!! pic.twitter.com/ulFuMDwFMu
— chiba_kofun (@yukio_0525_) 2022年9月23日
国府台遺跡の現説会のあと、国庁推定地とされる国府台球場へ。現在、建て替えのため更地になってました。
— chiba_kofun (@yukio_0525_) 2022年9月23日
ここもこれから調査がされるんですかね?#国府台遺跡見学会#下総国衙跡 pic.twitter.com/KOOxOuv1Yb
いやぁ~、大溝、すごかったですねー🥳👍️
— TORU Suzuki (@TORUSuzuki10) 2022年9月23日
でも、私は前回調査のちっぽけな埴輪片に一番、感激してました~😆💕🎉 pic.twitter.com/aT4MRXhC0D