兜塚古墳から西に徒歩2分の伊豆美(いずみ)神社の由来。889年(寛平元年)北谷村字大塚山に大國魂神社(府中市)を分祀して六所宮とした。1550(天文19)年、多摩川の洪水により社地が流されたため、二年後の1552(天文21)年に現在地へ遷座された。1868(明治元)年に社号を伊豆美神社と改称した。
伊豆美神社の南には径10〜15mの円墳「腰掛塚」があった。1960年ごろまでは残存したが、その後に墳丘は削平され畑地とされた。腰掛塚に祀られていたとされる御霊神社が伊豆美神社の社殿の左奥に再建されている。腰掛塚の名前の由来は、六所宮が遷座した時に仮宮が置かれたことに因む。
伊豆美神社の敷地内にある『御霊神社碑』に「伊豆美神社の御祭神を多摩川の洪水により旧社地である大塚山から現社地に遷宮した」と刻まれている。
六所宮の旧社地に鎮座する水神社。当地は大塚山と呼ばれ円墳と推定される。墳丘は江戸時代の六郷用水開設工事の際に削平された。
六所宮は大塚山から腰掛塚と古墳を渡り歩いた。
水神社のすぐ近くに多摩川。
万葉歌碑 (東歌)「多摩川に さらす手作り さらさらに 何そこの児の ここだ愛しき」松平定信の書、1805年建立、1829年に洪水のため流失、渋沢栄一の尽力により1924年に再建。