兜塚は、1457年に太田道灌が支城地の調査ため、加瀬の台(川崎市幸区)を候補地として一夜を過ごした時、道灌の兜を鷲が奪って、本地に落とし、そして鷲が兜を埋めたいう伝説から、その名が付いた。墳丘は僅かしか残っていない。1938年に土取り工事によって削られた際に副葬品が出土した。円墳。直径30.8m。高さ5.8m。6世紀頃の築造。堂ノ前古墳から東に徒歩12分。
1966年10月建立の「遺蹟」石碑と、兜塚伝説400年を顕彰する明治4年(1871)に駒岡村が建立した「兜塚」石碑。この階段の手前の道は鎌倉道と推定されている。
古墳の山頂に冨士浅間神社
加瀬台の眺望。
反対側は学校とグランド。
横断歩道を渡った所にある上末吉バス停でバスを待っていたら川崎駅西口行きのバスが来たので乗車した。
川崎の桜並木。
文献
[1] 稲葉森三・池谷健治 1969「駒岡及びその周辺の上代遺跡」(私家版)
[2] 鈴木重信 1986「鶴見川流域の埴輪」「古代のよこはま」横浜市教育委員会・横浜市埋蔵文化財調査委員会
(ちなみにこの可愛い埴輪が出た神奈川県横浜市の兜塚古墳には「長慶天皇陵」とする伝承が、すぐお隣の駒岡瓢箪山古墳には「崇神天皇陵」とするぶっ飛んだ伝承が残ってるよ) pic.twitter.com/fAeSeWLj9I
— ぺん@古墳巡り (@pen_kofun) 2020年5月5日