週末は古墳巡り

古墳とは、およそ3世紀から7世紀に築かれた墳丘状の墓のこと。その数、およそ20万基。

加瀬台古墳群 川崎市幸区北加瀬

標高30mほどの細長く突き出した加瀬台(夢見が崎)にある古墳群。4世紀後半から7世紀後半に築造された10基の古墳のうち6基が現在する。川崎駅西口の55番のバス乗り場から川崎市バス「川64、川63、川66、川67」に乗車して、夢見ヶ崎動物公園前バス停で下車。徒歩6分。今回は塚越から歩いた。徒歩27分。1970年に神奈川県教育委員会が加瀬台古墳群の分布と墳丘測量調査を実施している。

加瀬台にある夢見が崎動物公園の入り口。
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9号墳。1991年から1994年に川崎市市民ミュージアムが発掘調査を実施した。円墳。径26x23m。横穴式石室を持つことから6世紀後半以降の築造。石室の石材は凝灰岩。江戸時代に盗掘されたと思われる。
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9号墳の墳頂の太田道灌碑。
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1号墳(滅)があったあたり。男の子の秘密基地になっていた。調査が行われずに消滅したため、詳細はわからない。埴輪が出土したと伝わるが不明。
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2号墳。円墳。15m。墳丘の形がよくわからない。2号墳は2011年から2013年に日本大学が調査した。文献[4][5]によれば古墳の可能性は低いとのこと。
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斜面の上から。
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斜面の下から。
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夢見が崎動物公園の広場。左に9号墳。
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川崎市戦没者慰霊塔。
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3号墳。円墳。20m。7世紀後半に築かれた南方に入口をもつ横穴式石室墓。ここから下に降りる。3号墳は1951年に川崎市教育委員会大正大学が調査を実施した。
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了源寺の墓所の奥に4号墳(了源寺古墳)がある。円墳。径21m。5世紀前半の築造。
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動物園のゾウガメ舎とラマ舎の辺りに5号墳(滅)があった。円墳。
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アルダブラゾウガメのNo.5。
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熊野神社
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6号墳は熊野神社の隣の浅間神社の社殿の土台部分。平安時代の経塚? 径24m。6号墳からは大正時代に常滑壺や鉢が出土している。

右脇から。
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正面から。
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墳頂の石祠。文化元甲子年(1804年)。
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左脇から。
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7号墳の上に建つ天照皇大神。円墳。27m。
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墳頂の稲荷社、三峯神社
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石神社、弁才天社、浅間社。
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8号墳がある辺り。何もない。1991年から1994年に川崎市市民ミュージアムが発掘調査を実施した。方墳。一辺24m。5世紀中頃の築造。
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加瀬台の北西端からの眺め。先に見える緑は日吉方面。その先に蟹ケ谷古墳群や馬絹古墳。その手前を矢上川が流れている。
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JR官舎跡地へのアクセス道を降りる。
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北加瀬二丁目のバス停から鶴見駅西口行きの臨港バス「川50」に乗車した。

◼️古代橘樹郡の矢上川流域の古墳の編年

4世紀中頃: 白山古墳、観音松古墳

5世紀始め: 加瀬台4号墳

5世紀中頃: 矢上古墳、加瀬台8号墳

5世紀後半: 西福寺古墳

6世紀始め: (浅間塚古墳)

6世紀中頃: (加瀬台1号墳)

6世紀後半: 第六天塚古墳、金掘横穴墓

7世紀始め: 加瀬台3号墳、馬絹古墳

7世紀中頃: (加瀬台9号墳)、方界塚古墳

川崎市教育委員会:夢見ヶ崎(古墳群)

文献

[1] 川崎市市民ミュージアム 1992「遺跡ガイドブック -かわさきの古墳めぐり-」川崎市市民ミュージアム

[2] 川崎市市民ミュージアム 1996「加瀬台古墳群の研究I 加瀬台8号墳の発掘調査報告書」

[3] 川崎市市民ミュージアム 1997「加瀬台古墳群の研究II 加瀬台9号墳の発掘調査報告書」

[4] 浜田晋介、山本孝文 編 2017「加瀬台遺跡群の研究」日本大学文理学部史学研究室

[5] 寺岡裕子 2017「加瀬台遺跡群 第4・7・8地点」『第41回神奈川県遺跡調査・研究発表会発表要旨』神奈川県考古学会

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